天からのギフトを受け取る
メッセージの前に
先日、ようやく田中みずえさんによる魂コンサルの記事をアップしました。
この記事でこんなことを書きました。
天職って、やり始める前から「これが天職だ!」って思うわけじゃないと思うんです。むしろ、やり始めて、悲喜こもごもの様々な経験をして、時には落ち込み、時には喜び、その中でより自分に戻っていけることが「天職」だと思う。だからひとつじゃなくていいんだと思うんです。
天職って、つまりは生き方なんだろうなと思います。だからひとつじゃなくていい、職種や業種じゃなくてもいい、なんなら作っちゃってもいいんだと思います。
メッセージ
さて、2021年4月27日のお昼に蠍座で満月を迎えました。今回も太陽はホロスコープのてっぺん付近(MC近く)で、水星・金星・天王星・太陽の4つの天体が集まっています。そしてこの4つの天体に逆行を始める冥王星がスクエア(90度)。
MC付近の4つの天体は9ハウスという「人生の旅・学び」という場所にあります。9ハウスという場所は射手座の領域で、守護星は木星。木星はギリシア神話のゼウスが守護神です。
今回の満月はけっこうしんどい人が多かったらしく、田中みずえさん主催のライフディレクションカレッジで急遽瞑想会が開催されました(瞑想会の参加はライフレボリューションプログラムAwakeningの年間講座の特典です)。
瞑想会後のやり取りの中で、ゼウスからの贈り物、天からのギフトについて思ったことがあるのでエッセイ風(?)に書きました。
ちょっと長いけど、今回の蠍座の満月の示すことってこういうことかなって思ったので、そのまま掲載します。
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先ほど、サンドイッチマンのプロフェッショナル仕事の流儀を見た。再放送なので2回目。
この放送の中で、サンドイッチマンのすごさを「天からのギフトってことですか?」とスタッフさんが言った時、コメントしていた坂上忍さんは「どうでしょうね、好感度が高いってことはそれだけ大変さもついてくるから、ギフトとは言い切れないのではないか」みたいなことを言っていた。
確かにそうだと思う。でも、それをギフトにするかどうかはサンドイッチマンが決めることなのだと思う。選ばれる人には、選ばれるだけの理由があり、同時に選ばれた苦労もある。
昨日の夜、珍しく母が自分の生い立ちを話した。夫がいたからだと思う。私は細切れに聞いたことはあったけれど、まとめて聞くのは初めてだった。
人はそれぞれ、いろんな事情の中で成長して大人になり、人生の様々なステージを越えてゆく。ごくごく当たり前のことだけど、普段はなかなか想像することができないものだなって思い知った日だった。
私自身の人生なんて、ストレート過ぎて見晴らしいいなってくらい真っ直ぐだったんだなって痛感するほど、母の家庭環境は複雑で、幼い頃からいろんな人の気持ちを考えなければならない環境だったんだなって知った。43年生きて初めてのこと。
母は気遣いの人で、努力も苦労も厭(いと)わない人だと思っていた。でも、そんなことはなかった。当たり前だ。誰だって報われたい気持ちはある。報われることや感謝されることが目的でなかったとしても、40数年のそれらが「この人はやりたい人だから」で片付けられていたらどうだろう。
私はずっと、母は人のためにいろいろやりたい人だと思っていた。「そんな性分なのよね」と言うたびに、愚直にも「そうだなー」と思っていた。でもそれは違った。私が母を理解していなかった。理解しようとしていなかった、という方が正しい。ということが、今日わかった。
人はいろんな事情の中で成長し、大人になる。
子供の自分ではどうにもできないこともあれば、大人になってもどうにもできないこともある。誰かのために、自分の望みを後回しにしたり、諦めたりすることだってある。逆に、そんなことすら考えたこともない人だっている。
前者の母に大事に育てられた私は後者で、なんだかもう自分にがっかりしている。同時に、母のことを理解しようとしていなかった自分にも落胆している。でもきっと、母はがっかりさせたくて大事に大事に育てたわけじゃないだろうし、多分がっかりする必要もないんだろう。
考えようによっては、母が誰かのために諦めたり失ったりしたもの全てが「私」なのかもしれないから。
私は母ではないから、母にはなれない。
でも、母のような深い気遣いを、自分の形でできるようになれば、母の遺伝子を持ってる意味がやっと生まれるんじゃないかと思う。
とはいうものの、気遣いとか気が利くという人物像とはかけ離れているのが「私」だと思う。その事実を思い知るたびに、それなりに落ち込む。
そんな私が最近ハマっているのがこれ。LINE漫画で88話までは無料で読める(ただし、一日で読めるのは2話まで)。あるいは板垣巴留「BEASTARS」特設サイトでも1話のみ試し読み可能。
この物語の中はすごく独特の世界観だ。擬人化した動物が主役なのだから。
擬人化した動物の世界だからこそ、すごく揺さぶられる。地味でいよう、目立たずにいよう、波風立てずに生きようとしながらも、自分の本能や感情に翻弄され迷いながら突き抜けていくハイイロオオカミのレゴシくんの心の内は、人間社会で懸命に生きている人たちの心を打つと思う。もちろん私の心も打ちまくり。
ハイイロオオカミのレゴシくんの、鋭い爪や牙や力は天からのギフトだろうけど、草食動物との共生を望む彼にとって、それらは草食動物を捕食するためのもので、食欲という本能と合わせて邪魔でしかない。だけど、それを彼はギフトに変えようとする。
天からのギフトはいつだって自分にとって都合のいいものではないかもしれない。あるいは、都合のいいところばかりをくれるものではないのかもしれない。でも、それらも全部ひっくるめて「引き受ける」と腹をくくったら、人はなんにでもなれるんじゃないか、不可能を可能にすることはできるんじゃないかと思う。
まったく青臭い発想だなと思うけど、例えば私の「気持ちいいほど自分のことしか考えてない能天気さ」だって、多分ギフトだ。負けず嫌いもそう、バカが付くほど真面目なところもそう、誠実であろうと努めているところもきっとそう(要領が悪いともいえる)。
なんとか、なんとか、周りの人たちが大切に育ててくれた「私」という人材を、十分に発揮して生きたいなと思う。そのためには、つまらない意地とかプライドとか、さっさと捨てて、あるいは捨てられない自分も全部「もーしょーがねーや、これが私だから」と走り出すしかないのだろうなとも思う。
なんかもう、いろいろやっちゃってもいい気がしてきた。いや、もちろん柑橘に全振りなんですけどね。わたしゃ柑橘農家だからね。
ビースターズ、個人的にはドワーフウサギのハルちゃんの清々しさが大好きです。なかなかのビッチだけど、ビッチかそうじゃないかなんて、生きたいように生きるのに、どうでもいいことなんだよね。
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5月より、ライフレボリューションプログラムのファシリテーターとして、ライフレボリューションプログラムAwakeningを開催することにしました。