This is me 家族がかけがえのない理由2

家族がかけがえのない理由2

ごくごくと水を飲むように

家族に対して、ひとりの人間、自分とは違う人という視点を持つのは意外と難しいことだと私は考えています。

同じ家で、同じご飯を食べ、同じ出来事を共有したとしても、どれだけ血が近かろうとも、やはり別の人なんです。だけど言葉にしなくても通じるものが多くあったり、同じものを見て同じように思う感性を持っていたりするので、家の外の他人よりは近しい存在です。そしてどんな姿も見せ合っているから分かってしまう、甘えてしまう。それが家族なのだろうと思います。

つい最近、吉本ばななさんが書いたアムリタという小説を読み返しました。この小説の終盤にアムリタの意味が語られます。

「神様が飲む水っていう意味なんだ。甘露ってよくいうでしょ。あれ。生きていくっていうことは、ごくごくと水を飲むようなものだって、そう思ったんだ、なんとなく。」

下巻の中盤でも真由という人物がアムリタについて、可愛い弟に一生懸命に語って聞かせます。

「大団円って言葉知ってる?」
真由が言った。
弟は首を振った。真由は、必死で言葉をたぐって言い続けた。
「そういうものが見えれば、私はもういいの、本当に。私はいつかまた人生をくりかえすときもあるかもしれないけど、今度は急がない。私は急いだだけ。あとは誰も悪くない。そう思ってる。由ちゃんも早熟だから気を付けて。私みたいに急がないで。お母さんの作ったごはんとか、買ってもらったセーターとか、よく見て。クラスの人たちの顔とか、近所の家を工事でこわしちゃうときとか、よく見て。空が青いのも、指が五本あるのも、お父さんやお母さんがいたり、道端の知らない人とあいさつしたり、それはおいしい水をごくごく飲むようなものなの。毎日、飲まないと生きていけないの。何もかもが、そうなの。飲まないと、そこにあるのに飲まないなんて、のどが渇いてしまいには死んでしまうようなことなの。ばかだからうまく言えないけど、そうなのよ。」

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なんてことはない平穏という日常を、ごくごくと味わうことこそ「人が生き続けていくことに必要なこと」なのだと思います。そして、同じアムリタをごくごくと一緒に味わえるのが、同じ甘露で同じように潤うことができるのが、家族。それは誰一人欠かすことができない、希望も絶望も共有できる、唯一の共同体なのだと思います。

当たり前にあるものほど、私たちは分かっていない

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以前の記事でも少し書いたこの本、経済学の本です。けれどとても今の時代に必要とされている意識とも触れ合うところがとても多く、私は何度も読んでいます。

私たちが生まれる前から資本主義経済は当たり前にありました。もっと分かりやすく言えば、お金とモノを交換する社会が、私たちが生まれた時にはそこにあった。だから何の疑問もなく、何かが欲しいと思えばお金を払わねばならないと私たちは思っています。事実、今の経済はそうして回っています。しかし、モノを手に入れるためにはお金を払う以外の方法もあります。物々交換とか、譲り受けるとか。

このように、生まれたころからあるものに対して、私たちは「当然だと思っている」わけです。それは家族や自分についても同じだと私は思います。

経済とはこんなものだ、貧富の差は開くものだ。そう言ってしまうことは可能です。しかしそれでは、ここに思い当たった時点で思考停止します。

これは私たち個人にも当てはまります。例えば「私はこういう人なの」「父は昔からこう」「母はずっとこんな人」と決めつけてしまうことは、それが当然だと思っていることになります。実は当然ではないことです。あくまで、今の自分の立場から見てそう見えているだけで、ほかの人から見ると違う一面があるはずですし、その理由もあるでしょう。自分に理想があるように、親にも理想があるのかもしれません。決めつけてしまうということは、思考を停止するのみならず、そうした可能性を全く見ないことになります。

もし、今の自分から変わりたいのであれば、その思考停止する視点から脱しなければ、変えることはできません。

私のなかの「神の視点」

Magnolia’sWorldでも何度か書いていることで、少々くどくなってしまいますが改めて伝えさせてください。私たちそれぞれが持っている「神の視点」のこと。

私の感覚では、エゴを超えることが神の視点を得ることだと感じています。私は欲しいものを欲しいと言いたかった。これは私のエゴ、私の欲求、願いです。

この視点から私の育った環境を見ると、欲しいものを欲しいと言えない、満たされない辛い環境に映ります。しかし、私のエゴ、欲求、願いをそっと脇に置き、客観的に私が育った家族を見ると、そこはなんだかんだと問題を抱えながらも、それぞれに助け合って生きて行こうとする、騒々しく仲の良い家族の姿が見えます。

私のエゴを通してみる世界は、極論を言えば「私の望みを叶えてくれる世界かどうか」で良い悪いが決まります。これは物事を一方向からしか見ていない、私の都合を通してしか見ていないことになります。エゴを超えること、神の視点で物事を見ることは、私の望みが叶うかかなわないか、という視点ではなく、360度全方向から物事を観察するということです。

エゴを超えることは、決して自分のエゴ、欲求、願いをあきらめることではありません。それは私という人が持っている「欲しいもの/欲求」だから、誰かに与えてもらうのを待つのではなく、自分で掴みに行けばいいものです。

家族がかけがえのない理由

それぞれが育った家庭は、それぞれに違うでしょう。また、同じ家庭であっても生まれた順番が違うだけでも随分と見え方が違うものです。実際に、私と妹(三女)では随分と母親の印象が違うことを知って驚きました。

そう考えると、家族でさえも自分とまったく同じ人はいません。私という人間は、この家族にとって唯一の役割のある人物であり、逆に私にとってもこの家族が唯一の同じアムリタを共有できる唯一の共同体です。

家族を好きになれ、愛せ、許せ、と言いたいわけではありません。嫌いな家族がいたってそれは仕方ない。だけど、自分にとって家族というのは、良くも悪くも体当たりで様々を学ばせてくれる人たちであり、そこで形成される人間の基盤は一生持ち続けるものです。

そして、多くの人が知りたい「使命」や「生きている意味」や「自分の役割」「自分だからできること」は、ここで培われ、育まれてきました。だから、自分を知りたいと思うならば、私は家族のことを、自分が育った環境を、自分の神の視点で見て、自分が享受した様々な価値観や美意識や秩序や哲学を改めて再確認することが、自分の財産である感性や素質や才能を理解することになるのだろうと思います。

あなたの基盤が培われたストーリー。これはみんな、それぞれ、一人ずつが持っています。代えの効かない役割を果たしてきたんです。だからこそ、かけがえのないものなんです。

※This is meシリーズは魔法の教室で伝えられていることにつながっていると思います。なのでThis is meシリーズは魔法の教室シリーズと合体します。


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