近頃の星読みが「私のこと?」って感じるあなたへ

これもよもやま話です

写真は主人の通う病院の非常階段です。螺旋階段って見るのが好きなんです。実際に昇降すると気持ち悪くなっちゃうんですけど、螺旋状のものって見ていて飽きないんですよね。

前回は私が参加している「Star Seeds Blossoming Aeracure」で感じたことをメインに、自己受容の話を書きました。これは続編でもあるし、そうとも言えないところもあります。確実に言えるのは、どれも私のステップそのものだということです。

昨日何人かの方からメッセージをもらって、星読み師として「揺れちゃうよね、じゃダメだよね」っていう話をしたんです。そしたら皆さん「人間らしくていいですよ!」って言ってくれるんですが(優しいよねえ、まったく!)、やっぱりそれじゃダメだと思ってね、じゃあどうしたらっていう話を書きます。

ちょっと昔話

みんながそうだとは思わないんですよ。あくまで私の話し。私はだいたい考えすぎなんじゃないかなあと思います。いやこれ、何度も何度も、今までにも今でも、言われてきたことなんです。けれど私としては、それほど考えてない、むしろこの程度で考えているなんて言うのは微妙なんじゃ、って思ってたんです。

私はいつから「考えすぎる」ようになったのか。社会人、高校、中学、と遡って、小学生のころにたどり着きました。今でも鮮明に覚えているあたり、執念深さか、とか思いますが、そんなのはどっちでもいいんです。

同級生がねん挫してとっても痛そうだったシーンです。ねん挫の痛さが分からなくて、痛いかどうか聞いたとき「人の痛みが分からないなんてデリカシーがない」と言われて、ガーンとショックを受けたんですよね、私。デリカシーがなんぞやも分かってないのに、人としてとても大切なものを私は持ち合わせてないんじゃないか、考えなしに言葉にするから人を傷つけるんじゃないか、って。※私も同級生も双方子供なので、なんと罪のない出来事だろうって今なら思います。

これぐらいから、私はしゃべるのが怖くなったように思います。デリカシーのなさが露呈してしまうのが怖い、傷つけるのが怖い、またそう指摘されるのが怖い。考えなしだから自分が痛い思いをするのだから、もっと考えてから話そうって思うようになり、話す前に考えることがクセ付き、思ったこと、感じたことをそのまま口に出すことができないほどにコリコリになってしまったように思います。

本当のきっかけは、もっと昔にあるのかもしれません。それもまた、いつかふと思い出すかも。

考えるとことと、感じることの違い

考えることと、感じることの違い、私は正確には分かっていないと思います。だけど「感じること」がないわけではない。むしろ表面に出ていないだけで、身体の中にはたくさんの感覚が泉のように湧いているんだと思うんです。感じるスイッチをオフにしても、湧いてくるものは止められない。

だんまりを決め込んだ私は、当然のことながらコミュニケーションが不自由になったんですよね。会話のテンポも悪いし、的外れなことばっかり言っちゃうし。なぜかな、なぜかなって考えた末に、相手が「?」って顔をしたときに「なぜ自分がそう発言したのか」の理由を話せるように理由を準備しておくようになったんです。こうなると、自分が最初に感じたことって、発する言葉の奥深くに潜り込んでしまうんです。感覚を言葉にしようとしているようで、考えたことを言葉にしてるんです。

変なことを言いたくない、仲間外れみたいになりたくない。些細なことといえば、些細なことです。だけど、そんなことを今までずっと抱えていたんだと感じました。

ねん挫の痛みが分からないがために、ねん挫しようと試みた、そんな当時の不器用さのまま、今も生きているんです。うん、もうそれはそれでいいじゃない、って思いました。間違えたり、外したり、別にそれぐらいいいじゃないって。

考えることと感じること。その違いなんてどっちでもいいんだと思います。ただ、自分は今どう感じているのか(喜怒哀楽、五感の感触)を意識すること、これが生の自分の声を聞くっていうことなんじゃないかと思うんです。

感情が揺さぶられたこの頃だからこそ

最近の毎日の星読みでは、感情に関する言及が多くありました。水のグランドトラインって何度も書いてますよね。刺激されるとゆらゆらする、これって感情の特徴だと思います。感情のゆらゆらって自分にとって大切なことだと思うんだけど、ただ注意したいことがあります。そのゆらゆらに振り回されて、あるいは感情に飲まれて、自分を見失わないこと、です。

自分を見失わない、これは「自分軸」とも言い換えられることじゃないかと思います。この自分軸って理屈ではないんです。「私はこうでああだから〇〇なの」ではないんだと思うんです。感覚は言葉じゃない、だからうまく言葉にしなくってもいい。ただただ、自分が感じていることを十分に自分が受け止める、これが「大事なこと」なんだと思うんです。そして、これを十分にやると、きっとその感覚が欲求や希望を、語り掛けてくれるんじゃないかなって思うんです。

私は、頭で考えることがなかなかやめられません。言葉に防御の鎧を着せるクセは、長年培ったもので、簡単にはがせるものではないんだと思います。だけど、それは諦める理由にならない。何かに対して感じたこと、そこで浮かんでくる感覚や言葉、これらを心に留めておいて、その鎧をはがしていく。とってもまどろっこしいけれど、鎧なしでも大丈夫って感じられるまで習慣づけていくつもりです。

一番近くにあるものが一番遠くに感じられる、そんな不器用さを感じます。だけどまぁ、いつも器用にやってきたわけではないんだし、この機会に本当の自分のペースっていうのを探すのも良いなって思います。

あ、今は太陽と水星が重なってるときだった。


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