自分との約束を思い出すこと

自分との約束を思い出すこと

春のお彼岸 お墓参り

私は2019年の春のお彼岸、初めての一人で墓参りに行きました。うちのお墓はちょっと離れた場所なので、いつもは家族と行きます。実は前日に母とお墓参りに来たのですが、翌日なぜか一人でお墓参りに行きたいなと思い、向かいました。

墓前ではいつも亡くなった家族を思い出すのですが、この日は目を閉じると、現在から過去に向けて時間が流れてゆくように、様々な記憶が思い出されました。

回顧と理解、そして癒し

その回顧の中で、私はずっと自分に不満を持っていたのだと気が付きました。長いあいだ「私は満足していない」という気持ちを持っていたことにも気が付きました。言葉としては何度も聞いたことがあるものですが、自分のその記憶が呼び起こされることで、そこに肉体が戻り、感情が戻り、記憶が戻りました。まるで言葉が生身の身体を得たように生々しく(そもそも私の中にあった思いの言葉だから、生々しいのは当たり前なのかもしれませんが)。

そうすると、今までの記憶に残る嫌なこととか、納得がいかないことの、見ることのなかった側面が見えて、するするっと解けて理解できました。これらはほとんどがネガティブな記憶です。許すとか、手放すとか、すごく難しいことだと思っていました。けれど、実はとても簡単なことでした。自分にとってネガティブに感じられるようにしか、物事を見ていない、ということ。憎みたかった、妬みたかった、酷いことをされた自分でいたかった。そんな自分もいたことを認めること。自分にとって都合のいい理屈でしかとらえないから、理屈で割り切れない感情が怨念のように残っていて、ずっと握りしめていたんだと思います。

最初の「ボタンの掛け違い」

さかのぼる記憶は幼少期まで進みました。そして妹の誕生まで戻った時、思い出しました。

私は両親を奪われた気がして悲しかったこと。でも嬉しそうな両親が私の気持ちに気づいたら私を嫌うかもしれない。だから私は聞き分けのいい「お姉ちゃんのふり」をしたこと。そして「大切なものは奪われてしまう」と間違った理解をし、奪った相手の妹を憎んでいたことを。

当時の私は3歳です。自分の感情を受け止めきれなかったのだと思います。だから自分が受け取りやすい形で理解してしまった。そしてこれが私にとって激しい感情を持った時のスタンダードになり、今までの人生はこの理解の上に成り立っていたこと。

私はずっと「大切なものが奪われること」が怖かったんです。そして誰かを憎んで、存在しない敵を作っていたんだと思います。でも今の私ならこう言えます。「本当に大切なものは誰にも奪うことができないんだよ」って。これも、3歳の小さな私が恐れを抱いてくれたから、今の私が言えるのだろうと思います。

そして新たに生まれ落ちる

私はこの日、妹を供養しに行ったわけですが、同時に自分の過去の感情や思いを供養しに行ったのだと思います。自分が受け止めきれないことにしていた思いや感情、そしてその奥にある自分の願いを、今の自分が救い出して叶えるために。

この日初めて、私は妹と離れるんだと思いました。同時にそれは最初のボタンの掛け違いを正すこと、自分の人生を誰かのせいにせず、本当の意味で自立するということなんだと思いました。

「ずっと留めていてごめんね。私の妹に生まれてくれてありがとう」と声に出して墓前を後にしました。

人は生まれ落ちるとき、とても寂しいんだろうなと思いました。そして今私は、またこの世界に今度は自分の意志で生まれ落ちようとしているみたいだ、と思いました。

自分との約束を思い出すこと

スピリチュアル的な思想とかアプローチは、正直なところ苦手でした。なんとか自分が傷つかずに受け入れられるように、きれいな言葉で自分の感情を覆い隠しているような気がして。そんな気持ちでいたから、許しも赦しも手放しも、なにも分かってなかったのかもしれないなと思います。でも、だからといって過去の自分がダメだというわけではないんです。分からなかったから、分かったんだと思います。そう、全部そうなんです。今まで経験してきたことは、経験してきた本質の「光も闇も」経験し尽くすためにあったことだから。そう考えると、ろくでもない経験(私が思い出したのはダメンズとの散々な恋愛です。酷い表現w)も、意味があったと分かります。

お墓参りからの帰り道は、良く晴れていて木漏れ日の気持ちいい時間でした。木々の隙間から太陽を見たとき、自分の出生図(私が生まれた日のホロスコープ)がありありと浮かび上がりました。そして、それぞれ散らばっている星たちが中心に集まり、まぶしいほど輝き、そしてまた私の出生図の配置に戻ってゆきました。これは白昼夢みたいなものだったのかもしれませんが、私は「今、生まれ直してきたんだな」と思いました。

星が真ん中に集まって、そしてまた散らばっていくとき、私は自分の意志でこの日に生まれてきたんだろうなと思いました。そして「生まれるときの私はどう生きていくのかの最高の形を知っていて、自分はその生き方でこの人生を全うする! と心に決めて生まれてくるんだけど、覚えていたら経験しようとしないから、全部忘れて生まれてくる」という田中みずえさんのお話は、私にもある記憶だったんだと思いました。これはすごく大事なことだと思います。だからこれからくどいほどに「自分との約束を思い出すこと」って表現すると思います(笑)

感情は自分そのもの

先に「私は満足していない」という気持ちを持っていたことに対して、「言葉としては何度も聞いたことがある」と書きました。

言葉をただ聞くだけならば目の前を通り過ぎる情報にしか過ぎません。けれど、そこに自分の感情を通わせることで、記憶がよみがえり、言葉が肉体を持ち、リアルに迫ってくるのだと思います。情報は思考のもとになるもの、その情報に体温を与えるのは感情だと思います。情報に感情が宿った時、記憶としてよみがえり気づきに繋がってゆくのだと思います。

私は自分の感情に蓋をしてきたと思っていました。でもそれは少し違ったようです。妹が亡くなったとき、私は人生で一番取り乱しました。自分が怖いと思うくらいでした。感情の波がまったく手に負えなくて、抱えきれなくて、どうしようもありませんでした。だから、感情の波が起こらないように生きてきたのだと思います。それは結果的に、自分を分からなくする行為でした。

感情は自分そのものです。痛いほどの怒りも、見たくないほどの真っ黒な憎しみも、たぎるほどの嫉妬も、自分の意志や理想とは関係なく生まれます。感情が次々に生まれてくることは、人間だから当たり前のことです。でもそれを「汚いもの」「持っていてはいけないもの」として認めないでいると、自分を見失うことになります。それらは自分の欲求、叶えてほしい願い、こうなりたいという希望から生まれてきているものだから。

自分を知りたい人が本当に知りたいことって、自分が何を求めていて、何を叶えたくて、何を願っているのか、ではないでしょうか。私は、必ず自分の中に持っているものだ思います。それは人間が未来に向かって生きるために必要な光だから。この光を見つけられるような、そして日々の暮らしの中で感じていけるような、そんなメニューを作りたいと思っています。

さいごに

突然の帰省で「墓参り」と言い出した娘を「おばさんになったわね(笑)」と迎え入れてくれた家族に感謝。そしてこのタイミングでお墓参りを勧めてくれた田中みずえさんに感謝です。

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