水瓶座の新月と、グアム旅行

2018年2月 水瓶座の新月直前の旅を終えて

 旅から帰ってきました。異国を、というよりグアムを思い切り楽しんできました。小説を持っていこうと決めていたのに、持っていく本を決めきれなくて、関西国際空港で2冊の本を買いました。

 私は、旅に全く慣れていません。たくさん働いていたころ、出張であちこち行きましたが、あれは旅ではなかったなと思います。今考えたら、あくまで仕事の一部の旅であって、「移動時間の中での読書」であって、景色とも、空気とも、自分の気分とも関係なく、ただそのとき好きだった本を読んでいたんだと思います。それはそれで良しとして(むしろ、幼少のころから20代、30代と本を読んで過ごしたことが、今こうして文章を書くということに繋がっているんだと思うから、むしろ必然だったのかなって思うけれど)、今回初めて「旅先で本を読もう」と決めて本を選ぶということが、まずとても新鮮でした。でも時間の制限があるから、読みなれた作者の2冊を選んだわけですが、これが運命的と言えるほど正解だったなあと思います。
 

旅のお供

鳥たち (集英社文庫)
私の中で「旅=吉本ばなな」なんですよね。というのも、彼女の「世界の旅シリーズ(1997-2005に書かれた「マリカの永い夜(加筆修正されて「マリカのソファー」になっているそうです)」「SLY」「不倫と南米」「虹」の4部作)」で、異国の風景や、空気や、その場の力が主人公たちを癒す(時に追い詰める)姿こそが旅なんだな、って思いこんでいるからです。今回のたびに選んだこの「鳥たち」には、大切なことしか書いていなくて、シンプルで痛くて、鳥の視点(俯瞰する視点)の救いが見事に描かれていました。

職業としての小説家 (新潮文庫)
もう中毒としか言いようがない村上春樹さんの本です。たぶん読むのは4回目ぐらい。小説家であることを語ると同時に、人が人らしく「自分を発揮する方法」を書いていると思っています。小説じゃないので、春樹の小説はちょっとね、という人も読みやすいかも(うちの主人は「春樹の本当話は一番つまらない」といいますが)。
 

水瓶座の新月を思う

 旅先でも、自分の書いた新月の記事っていうのはとても気になるもので、ちょくちょく読み返してました。そんな中で、20代ぐらいの女の子(たぶん女性が多い職場の子たちと、卒業旅行の子たち)に混じってツアーに参加したり、海にぼーっと浮かんでみたり、実弾を撃ちに行ったり(主人の希望です。私は膝が笑いました)しつつ、早朝や夕方のホテルで本を読みながら空を眺めていました。そこで思ったこと、私はこうしたいんじゃないかなって感じたことを、まとめようと思います。

今までの私がやってきたこと

 私たちは常に現実社会に生きていて、否が応でも「周り」と「自分」を意識しながら生きているように思います。私もこうしてスピリチュアル的なブログを書いたり、占星術を使って星を読んだりしていますが、いつも気にしているのは「スピリチュアル的なことを、いかに現実に起こしてゆくか(落とし込んでゆくか)」ということです。

 エンターテインメントとしての「星占い」を、私は全く悪いものだとは思いません。でも、占星術とは少し趣が異なるものだと思っています。当たってる、外れてるを楽しむだけの為に、占いがあったって全然いいんだと思うんです。そもそもが博打的な要素もあるのが「占い」なんだし。だけど、それだけで終わらせないのが「占星術を知ること」なんだと思うんです。

 ホロスコープを読むとき、私はすごく「自分」と向き合います。1ハウスの示す「自分自身」って自分のどこだろう? 2ハウスの示す「収入や財産、それに繋がる自分の資質」って何になるのかな? って。これはすごく「自分と向き合う行為」だと思います。これは自分の出生図だけではなく、誰かのホロスコープでも同じです。やればやるほど、自分の中での「不明確な自分の線引き」が明確になってゆきます。明確になることのメリットはそれほどないかもしれないけれど、少なくとも私の中では「根拠」という自信がついて行くように思います。

 こんな風に「自分と向き合うこと、同時に切り分けること」ができること自体は、メンタル(精神的)の強さがあるからなのかもしれない、って思ったんです。

スピリチュアル ってなんだろう

 グアムでこんな小難しいことを考えていた夕暮れ、暗くなり始めたグアムの町にクラシックなレゲエが流れてきました。ビーチに向かってのんびり動いている車から流れているようです。陽気に騒いでいる人や、踊っている人もいるようでした。日は刻々と落ち、街灯が明るく照らし街を始めます。風はとっても心地よくて、ヤシの木をざわざわと揺らします。海から陸に向かって、同時に陸から海に向かって、圧倒的な見えないもがぶつかり合って、入り混じって夜が深まってゆくようでした。

 私はそんな風景を見ながら、感じながら、水をごくごくと飲んで、ある曲を口ずさんでいました。その瞬間になんだかふっと「あ、今のこの感じ、すごくスピリチュアルだ」って思ったんです。

 スピリチュアルもまた、占いと同じぐらい汎用的で、いろんな解釈ができる言葉だと思います。エンターテインメントとしてのスピリチュアル、ビジネスとしてのスピリチュアル、時代のカラーとしてのスピリチュアル(ニューエイジ、オカルティズム色の濃いもの)。いろいろあるけれど、本来のスピリチュアルって区切りのあるものではなくて、もっと漠然とした捉えどころのない見えないものだけど、全員が等しく持っている能力であり、同時に風景でもあるようなものなんじゃないかなって。

 このときの私の感覚を言葉にすると、私個人という身体の枠を超えて、海からと陸からの何かと混じり合いながら突き抜けていった「全部が生きている」という感覚、そして喉を鳴らして飲んだ水が体に染みわたってゆくことそのものが「この身体もその一部である」ってことでした。

バランスが大事

 私は過去2回ぐらい鬱になったことがあります。鬱というのは人ぞれぞれのもので、だから私の感覚を語ることが「鬱のすべて」では当然ないわけですが、ちょっとね、思ったことがあるので書きます。

 私が鬱になったころ、私は何を見ていたのだろうか、と考えました。たぶんあまりにも「自分に集中しすぎていた」んだと思います。答えの出ない「自分とは」「普通って?」「生きるってどうやるの?」みたいなことばかりが目の前の景色で、社会生活を送りながらも何かにつけそのフィルタを通して物事を見ていたように思います。自分だけが答えを持っていない、自分だけが知らないような気がして、人の言いなりになってみたり、まるで言うことを聞かなかったりするんだけど、全然状況は改善されなくて不安で不安でたまらない。うまく眠ること、食べること、美味しいと思うこともできない。可哀そうな自分っていうのはあんまり思いませんでしたが、ポンコツな自分が嫌で嫌で、自分でいることが窮屈で仕方ないって状態でした。

 今考えると、この状態ってすごく「精神的(スピリチュアル)ばかりをどうにかして”普通”になろう」としていたんだと思います。その「普通」っていうのもあるかないか分からないものだから、要するに「ゴールの見えない最大公約数(多数である、過半数であること)探し」です。それもすごく厳しくね、ちょっとでも外したら咎められている気がするのね。

 人というのはとてもタフな反面、とても繊細にできていると思います。精神的(スピリチュアル)と物質的・肉体的(フィジカル)のバランスが取れていないと、病気になったり心を病んだりします。本来の自分らしさを発揮するため、健全に生きるためには、バランスよく精神的(スピリチュアル)と物質的・肉体的(フィジカル)を活動させる(使いこなす)必要があるように思います。

 これはもちろん、意識的に鍛えられる部分ではありますが、自然と発揮されている部分も大いにあるんだと思うんです。というか、そうあるのが「本来の人の姿」なのかなあって思うんです。

私は「こうしたいんじゃないかな」ってこと

 最初のところに戻るのですが、「私はこうしたいんじゃないかなってこと」は、つまりこういうことです。って分かりづらいですね。

 私がこうしたいんじゃないかってことは、きっと「それぞれの人が、それぞれの自分自身を堂々と生きられるようにすること、またその手助けをすること」なんじゃないかって思ったんです。今年のバレンタインのゴディバではないですが、みんながしてるから止められない義理チョコや、周りの期待に応えてばかりで自分を失うこと、あるいは逆に自分を失うのが怖いがために必要以上に虚勢を張ること、魂(自分自身、命)のためのご飯を、手短な妬み嫉みや欲で済ませてしまわないこと(本当に自分が求めるものだけを選ぶ勇気、飢える覚悟、魂のご飯貯金の方法)を、私だから伝えられる言葉に乗せて、伝えてゆくことなんじゃないかなって思ったんです。

 これはあくまで「私はこうしたいんじゃないか」ってことで「私だからこそできること」かどうかは分かりません。そもそも、今の私はスピリチュアルとフィジカルのバランスも悪いので、まずは自分のバランスを取り戻すところからやらなきゃならないんだけど、そういうことは「こうしたい」の過程であって、たどり着きたいところは、巡り巡って最初の地点かもしれないけど、鳥たちに描かれていたような、俯瞰することで見える景色なのだと思います。

 この考えに、旅のお供の2冊が大きく関わっていて、私は模しただけなのかもしれないなって思います。だけど、いつの私もこの二人の描いているものを求めていて、選んできました。だから「選ぶべくして選んだ2冊」だったのかもしれないなって思います。この2冊の本に感謝、それ以上に、グアムという場所に連れて行ってくれた主人に感謝、そしてこの旅を温かく送り出してくれた読者さんたち、帰国時に「おかりなさい」って迎え入れてくれた読者さんたちに、たくさんの感謝を贈ります。

 

旅の写真

2018年2月 グアム初上陸

常夏の島でした。

常夏とは言うものの、日本の夏のほうが厳しい夏です。感覚的には30年前の日本の夏休み、みたいな感じでした。暑いし湿度も高いんだけど、風が吹くととても気持ちいい。懐かしい感じがすごくありました。

グアムの花、ブーゲンビリアは至る所に。

上の記事の中にある「ある曲」というのは、このブーゲンビリアから、たまの「さよなら人類」です。

バギーのツアーで出会った絶景。

バギーでジャングルを抜けるとこの風景に出会えます。バギーはスピードが出ないので安全ですが、ガタガタがすごい!

グアム オフロードアドベンチャー 豪快にATVで駆け抜ける爽快体験! | グアムの観光・オプショナルツアー専門 VELTRA(ベルトラ)

こちらはウミガメと泳ぐツアー。実は泳ぎに自信のない主人。

私は水面を眺めているのが好きです。今の身体は沈まないんだけど……。

20代はビキニでしたが、私と主人はウェットスーツを借りて。身体が冷えて眼前に集中できないともったいないもんね!!

ウミガメシュノーケリング(ボート) 送迎付きツアー<日本語ガイト> by S2クラブ・グアム | グアムの観光・オプショナルツアー専門 VELTRA(ベルトラ)

チャモロ料理。これはBBQコンボ。

同じくチャモロ料理のグリルチキンのサラダ。

有名どころのステーキハウスやハンバーガーなど、さんざんお肉を食べたのですが(おかげでまた太ったわ)、一番おいしかったのはホテルのすぐそばにあったチャモロ料理のお店でした。なんだかんだ言ってね、やっぱりアメリカンは大味なの(笑)チャモロ料理が繊細かって言うとそんなことはないのですが、とにかくすっごく美味しかったです。翌日の帰国前にもこのお店に行ったぐらい。

Terry’s Local Comfort Food(GoogleMapが開きます)

グアムの夕焼け。

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